遠い世界 1
歪んだ世界
立ち並ぶ高層ビルの向こうに沈みかけた弱い陽光が世界を紅く染めていた。
反対側の空は、すでに夜の色に呑まれはじめている。
家路を急ぐ人々が世話しなく行き交う雑踏の中で、大荷物を抱えた枢木スザクは人混みを避けて、歩道の端を選んで歩いていた。
人混みの中に見え隠れする同行者の姿を見失いようにと気を配りながら必死でそれを追いかけるが、先を歩くその姿はスザクのことなどお構いなしにどんどんと先に進んでいく。
学生服の少し丈の短いスカートをひらめかせながら大股で歩く姿にスザクは苦笑した。
機嫌が悪いと彼女は早足になる。
だから、今は多分機嫌が悪いのだろう。
歩き難いこの人混みと、それに紛れて声をかけてくる軽そうな男達が原因なのは明らかだ。
スザクの目の前で、また馬鹿な男が彼女に声をかけている。
さっきからこれで何人目になるのかわからない。
それを完全無視する形で、無言のまま歩く彼女の顔が苛立たしそうにスザクを振り返った。
―――世の中、間違っている・・・。
スザクは思う。
モデル並にスレンダーなスタイルも、整った綺麗な顔も、男から見れば充分に魅力的だろう。
何も知らなかったらスザクでさえも声をかけているかもしれない。
しかし、どんなに魅力的でも、彼女は男だ。
女装趣味とか、性同一性障害とか、そういった事情で女性の姿になっているわけではなく、中身は間違いなく列記とした男なのだ。
だから、それとは知らずに声をかけてくる男が滑稽に見える。
人混みを抜けてようやく彼女に追いつくと、何か言いたそうな顔がスザクを睨みつけた。
「ど、どうしたの?」
「・・・なんでわざわざお前を連れて来たと思ってるんだ!?」
「え?なんでって・・・荷物持ちならちゃんと役目は果たしているだろ?」
スザクが持っている大量の荷物は全て彼女の買い物の成果だ。
スザクは自分が荷物持ちをさせられる為に買い物に付き合わされたと思っている。
「お前がちゃんと傍にいないからあんな下衆な男に声をかけられるんだ!」
「・・・ああ、それでさっきから機嫌が悪いんだ?」
「当たり前だ!俺が男に声をかけられて喜んでいるとでも思っていたのか!?好きでこんな格好をしているわけじゃないんだぞ!」
「それは、わかっているよ・・・」
彼女―――いや、彼と言うべきか・・・に、深い事情があることは知っている。
しかし、数年ぶりに再会した親友がまさか女になっているとは思いもしなかった。
確かに、性別を偽るのは素性を隠すにはもってこいの方法だろうが、あまりにもその女装が板に付きすぎている。
言葉をかけられなければ、スザクでさえ気がつかなかったほどだ。
だからルルーシュが男だとは、誰も疑っていない。
完璧に女性になりきっている。
知っているのは、ルルーシュの通う学園の理事長とスザクくらいだろう。
その学園にスザクが転入してきたことで、二人は再会したのだ。
思わぬ再会に喜びはしたものの、親友の変わり果てた姿にスザクは複雑な心境だった。
しかしそれは命を狙われているルルーシュには仕方のないことなのだ。
出自を偽って名前までも偽装して、一般の学生に紛れて生活していれば、見つかる心配はほとんどないだろう。
それでも安心はできない。
命を狙っている相手は今この国を占領しているブリタニアの皇族なのだから油断はできなかった。
だから念には念を入れて性別まで変えたのだ。
まさか放逐された皇子が女性になっているとは誰も思わないだろう。
それにしてもと、スザクは感心する。
―――上手く化けたものだ・・・。
髪は女性らしさを強調する為に、長い黒髪のウィックを着用してはいるが、化粧はしていない。
服を女物に変えただけなのに、見た目が完璧に女性に見えるのは、何気ない一つ一つの仕草にも気を配っているからだろうか。
人前ではあまり話さず、話す時も言葉遣いには充分に気をつけている。
事情を知っているスザクと二人きりで話しをする時とはまったくの別人だった。
成績は中の上をキープし、学園内では目立たないように常に心がけている。
名門の部類に入るアッシュフォード学園には、ブリタニアの貴族の子息や令嬢も結構多い。
しかし、何年も前に放逐された皇子の名前や顔を知っている者は殆どいないのだろう。
国を追われたときはまだ子供だったので公の場には顔を曝していなかったことが幸いしている。
学園内においては、ルルーシュの素性が露見する心配はなさそうだった。
それでも学園の外に出るときは油断はできない。
常に眼鏡を着用して外出をする。
街中を歩く時もできるだけ顔を俯けて、その顔をあまり曝さないように気をつけてはいるのだが、それでも目立ってしまうのはその容姿の所為だろう。
ならば学園内の寮の個室で大人しくしていればいいだろうと思うのだが、暇を持て余しては度々買い物や遊びに外出する。
それに同行するスザクは冷や冷やものだ。
今のスザクは学生をしながらもブリタニアの軍籍にある。
ルルーシュの素性が暴露すれば、累は自分にも及ぶ危険性があった。
それでも放っておくことができないのは、スザクの面倒見のいい性格の所為なのだろう。
「お人好し」と言われればそれまでだが、不幸な身上の親友を突き放すことはできなかった。
学園の近くまで戻って、途中の公園のベンチに並んで腰掛ける。
傍から見れば、仲のいい恋人同士にでも見えるだろうか。
そんなことを考えて、スザクは溜息を吐いた。
―――・・・やめてくれ。相手はルルーシュだ・・・。
親友の折り紙つきの性格の悪さは充分に知っている。
それに、どんなに綺麗な顔をしていても、こんな可愛い格好をしていても、ルルーシュは結局男だ。
しかも、プライドが滅茶苦茶高くて、我侭で、女王様気質で、兎に角扱い難い。
例えもし、ルルーシュが本当の女性だとしても、自分は絶対に御免被りたいと本気で思う。
そんな欠点だらけの親友でもいいところはある。
いや、あるはずだ。
今すぐにルルーシュの長所を上げろと言われると、すぐには出てこないが、多分良いところもある・・・のだろう。
だからスザクは親友を続けているのだ。
スザクがそんなことを考えているとは知らないルルーシュは何気ない仕草で、隣に並ぶスザクの肩に寄りかかる。
「ちょ・・・ちょっと、ルルーシュ!?」
突然の行動に焦りを感じたスザクに、ルルーシュは「帰りたくない」とぽつりと呟いた。
その言葉が更にスザクを困惑させる。
「か、帰りたくないって・・・」
「お前ともっと一緒にいたい」
「あ、あの・・・ルルーシュ・・・?キミ、自分で何言ってるのか本気でわかってる?」
女装が板につきすぎて気持ちまで女になってしまったのかと、スザクは親友の思わぬ発言を疑った。
「なにを勘違いしているんだ?俺は昔みたいにお前と一緒にいられればいいと本当に思っているんだ。あの頃のままでいられたらこんな格好もしなくて済むしな・・・」
「はぁ・・・まぁ、確かに・・・」
「それに、女っていうのは嫉妬深くて男より陰湿だ」
「何か、あったの?」
「あったなんてもんじゃない。毎日嫌がらせの連続だぞ」
「え?そんな風には見えないけど・・・」
「教室での話しじゃない。女子寮ってのはいい隠れ場所だと思っていたんだが、あそこまで陰湿な嫌がらせを毎日されるとちょっと考えたくなる・・・」
クラス分けは、一般の生徒とブリタニアの貴族できっちりとわけられている。
スザクはもちろん一般のクラスだし、素性を隠しているルルーシュも一緒だった。
学生寮も別棟でわけられてはいるが、ルルーシュは個室の特別室を使っている。
普通、一般の生徒は相部屋を使っているので、ルルーシュの部屋は貴族のご令嬢方と同じ棟にあるのだ。
しかも特別室という特別待遇だ。
ルルーシュの身分を考えれば当然なのだろうが、ご令嬢方はそれを知らない。
プライドの高い彼女達がおもしろくないのも頷ける。
しかしプライドの高さならルルーシュは彼女達の遥か上を行っているとスザクは思う。
到底足元にも及ばない。
だからそれくらいでルルーシュが凹むとは思っていなかった。
―――ルルーシュを「帰りたくない病」にまで追い詰める嫌がらせって・・・一体・・・。
想像のできないスザクはぞっとした。